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  • 執筆者の写真すずめや

気づき

うめだ阪急の搬出終了後、

ちょうどいい時間にやっていたラヴェルの映画を作家仲間と観に行った。

今回の出展ではその方、Kさんと諸々のチャンネルがあって、あーでもないこーでもないと作品や魅せ方や生き方について話していて、たまたま興味のある映画と時間とが合致して大阪の締めの夜となった。


映画が終わって感想会しようって入った喫茶店で話し込む中で、ここのところずっとうわの空でもやもやもやもやしていたものの正体がおそらくわかった。

ラヴェルのボレロの旋律ように、わたしはずっと繰り返し、積み重ねて行くように作品を作り続けてきた。

起伏や変化で翻弄するタイプでは決してない。

繰り返して積み重ねてクレッシェンド。

わたしはクレッシェンドの行き先を見失って、不安になって、不満になって、怒っていたんだと思う。


手に入らないと思っていただろう暖かく輝くものが手に入って、憧れの地で幸せに暮らし、めでたしめでたし、の状態にある、あるんだけど、勿体無いくらい素晴らしい環境にたどり着いたんだけど、まだもっとなにかやりたくて、できるって思っていて、なんだよなめんなばか、って思っていた。

ひと昔のわたしが、たぶんそれを、傲慢だって諌めていた。

贅沢すぎるってなだめて不安と不満と怒りを殺していたんだと思う。

これはもう、育ちがそうだからしょうがないことだった。

卑下ぐせ、否定ぐせが染み付いている。


めでたしめでたしの中にいるような幸せな空間にいた一週間で、それでももやもやを薄く纏っていた。

Kさんにもそういう時期があったんだそうで、目を見てなんか悩んでるのわかったって言って話を聞いてくれて、自分の話をしてくれて、わたしが思っているよりずっとわたし自身がドツボにはまってしまっていることを一緒に解きほぐしてくれた。


何十万枚の紙を折って、何万枚の絵を描いた。

わたしはたぶんまだ、もっと、もっと挑戦して勝負して音量を上げて進んで行きたいんだ。


旋律は変わらなくても、すこしやることが変わるかもしれない。

またもがくことになると思う。

見ていてほしい。



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