当日の朝はまだ暗いうちに起きて、外に出ると三日月が出ていた。
紫がかったうすい群青の空に、うすい刃物のように光っていた。
杉の木が月光を背後にまっくろに佇んでいて、黒い犬がせかせかと歩き回っていた。
冷たい風がそよと吹いた。
ついにヤン子の避妊手術。
じつはほんの少し前、さかりがきていた。
このままでは一ヶ月以上前に予約をしなければならない避妊手術がうけられないとやきもきしたものの手術に間に合うようにさかりがおさまり、いざ。
いままでの子たちは男の子なのでちょっと切ってすぐ動けるかんじだったし、特に待つこともなかったのだけれど、女の子のヤン子は開腹手術となるため、一旦病院に預けて夕方にお迎え。
全身麻酔の手術でそのまま起きなかった猫の話を前もってネットで漁ってしまっていたため内心かなり不安だった。
不安なときにネットはよくないほんとに。
悪いことばかりを求めてしまうし集まってくる。
夫は自分の仕事場でそういうのが慣れっこなのでずいぶん飄々としており助かった。
迎えにゆくとヤン子はとてもぐったりしていた。
まだ麻酔が効いているとのことだった。
お医者さんはまだ濡れてひかるヤン子の子宮と卵巣を、ぴかぴかのステンレスの皿に乗せてみせてくれた。
外科手術でとったものを見せるというのはなにかお医者の間できまりごとがあるのだろうか。
猫たちもそうだし、いつか妹が肺を患ったときも小さな腫瘍をおなじようにステンレスの皿に乗せてお医者にみせられた。
人によっては見たくない人もいるだろうに、事前に断りもなくすっと出してくるあたりなにかの決まりでそうしなければならないのかもしれない。
子宮と卵巣がなくなって腹に傷を負ったヤン子はぐったりとした横倒しのままキャリーにおさまり、麻酔で弛緩しておしっこも垂れ流し、撫でてもにゃあとも言わぬ。
うちにかえって、夜の7時半には麻酔が切れるということだったがなかなか切れずにぐったりしていた。
離れるとにゃあと鳴き(声が出るようになった)動かない足で動こうとする。目はいつもよりとろんとしている。先に亡くなった愛猫のマリは足が悪くなったのが病気発見のきっかけだったのでどうしても彼女を思い出して過保護になった。
ヤン子はそばにひっついて撫でてやっていると動かずにじっと目を瞑るのでしばらくひっついていた。離れるとよろよろした足取りで動こうとする。眠るころにはヤン子のあたまにひっついていた人間のよだれの匂いがしみついていた。
ヤン子はいつも寝ている我々の寝室ではなく別室暮らしのモンティーヌの部屋に置いて眠ることにした。
モンティーヌはもっちりしていて動かないし、ヤン子のことが好きだし、なによりモンティーヌ部屋には布団が敷き詰められており、転んだりしても安全そうだった。
腹の傷があるし、モンティーヌ部屋から脱出するための金網をよじのぼることはできないだろうと思った。
ふだんは金網のぼりも運動の一環として楽しんでいるヤン子だが、今夜ばかりは優しくもっちりとしているモンティーヌとあったかく静かに夜を過ごせば良いと思った。
だが夜中にヤン子はやってきた。
あんなによぼよぼしていたのに金網をよじ登り、廊下を歩いて、我々のベッドに登ってきたのだ。
なんといじらしいこと!
正直ヤン子はみんなに好かれているから、怖い手術を受けさせた人間のことなんて嫌いになっちゃってほかのお兄ちゃん猫たちや犬のぬげたとやっていくことにするのかもしれないと思っていた。みんみなんてヤン子のおもらしした毛並みをフレーメン反応しながらも一生懸命舐めていたし、ぬげたも術後服のヤン子にすごく近寄ってきてたし、めーめもなんかおかしいなと近くでヤン子をじっと見つめていた。モンティーヌはこないだヤン子と腕組み抱き合って二人で眠っていた。
ヤン子はみんなに好かれている。
しかしヤン子は傷ついたからだで我々の寝床にやってきた。
体もうまく動かせない術後服だというのによじ登ってやってきた。
お水もごはんもほとんど食べられない状態だというのにやってきた。
ヤン子は我々人間を心から信頼し頼っているのだ。
そうでなければ傷ついた状態で安心して眠るために人肌をもとめることがあろうか。
ヤン子は甘えるときに腹を出して腹揉みを要求するくせがある。
お腹を切ったらもう腹揉みの姿勢をとらなくなるかもしれないと寂しく思って手術前に最後の揉みをしたけれど、もしかしたらまた腹揉みをさせてくれるかもしれない。
それからヤン子の美しい壁蹴り跳躍ダッシュを早くもう一度見たい。
無事に綺麗に傷が治って、早くヤン子が元気いっぱいのヤン子にもどりますように。

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